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代表挨拶

代表取締役 教授

代表取締役 教授

2008/10/01

本日、待望の「株式会社時有人社」を立ち上げました。従業員は、まだ私一人しかいません。37年間にわたる京都市役所への奉職、さらに2年と半期 にわたる平安女学院大学での教授生活をひた走ってきました。その間、「なにか社会の発展に役立つこと」をしたいとずっと思い続けてきましたが、いつもどこ かもどかしく、ほんとうにこれで良かったのだろうかという自分自身への懐疑が心を離れませんでした。京都市役所、平安女学院大学を通じ、自由奔放に、自信 たっぷりに、余裕しゃくしゃくに振舞ってきたつもりでしたが、いつも言い知れぬ不安感に苛まれていました。社会の組織に組み込まれると、日常の雑務と体制 の擁護に追われ、本当の意味での自由人にはなりえなかったからです。

大学の春学期が終了し、退職をして、やっと自分についてゆっくり考える時間ができました。軽井沢の林の小道を歩き、浅間山に続く鷹繋山に登り、大 滝のせせらぎに耳を澄ませ、涼しい空気を胸一杯に吸って、広々とした牧草地に寝そべり、流れ行く雲を見つめながら、「これからも、まだまだ時間がある。本 当の自由人になれる十分なゆとりもある。何とかもう一度、社会的に意義のある仕事に挑戦してみよう!」と思い立ちました。それから2ヶ月、「時のありか」 を肌に感じながら、清水正三さんとも相談をして、株式会社を興しました。株式会社時有人社はこうして生まれたのです。

2008年10月1日は、私にとって意義深い日となりました。本日付で、「京都キワニスクラブ」の会長に就任するとともに、本日創設された「メルパルク 株式会社」の取締役に就任し、奈良県立大学の客員研究員としても名を連ねることになりました。また、これまでことあるごとに「観光立国」の必要性を説いてきましたが、国土交通省の新たな部署として「観光庁」が創設された歴史的な日でもあります。10月1日は、今年度の後半期の初日であり、切りが良いとい うこともありますが、数字のみで表記すれば、「1001」となります。このことも私が10月1日の設立にこだわった理由の一つです。

私が京都市役所で行ったプロジェクトの中で最も重大なものが、「デジタルアーカイブ」です。1997年に「情報新世紀・京都21」を策定し、1998 年に「京都デジタルアーカイブ推進機構」を創立、2000年に「京都デジタルアーカイブ研究センター」へと発展を遂げ、2003年に幕を閉じたのですが、 当初理事長にご就任いただいた京都商工会議所の稲盛会頭(当時)から、「重要なプロジェクトは長くとも3年、すなわち1000日をひとつの区切りにしなさ い。」と教えられました。準備と推進機構で3年、1000日、研究センターとして3年、1000日のプロジェクトであったため、われわれはこれを 「1000日プロジェクト」と呼んできたのです。京都市観光政策監への就任以後も、いろんなプロジェクトに携わりました。その際、「1000日プロジェク ト」を1歩超えたプロジェクトにしたいという思いから、私はこれらを「1001プロジェクト」と呼んできました。そのため、私の愛車には「1001」のナ ンバープレートが付いているのです。

株式会社時有人社の究極の目標は、人材育成です。京都市観光政策監の時代、今後の観光の発展のためには人材の育成が不可欠だと信じた私は、文部省や京都市 内の各大学に働きかけ、観光大学院大学の構想を提案してきました。福井県のさる篤志家から巨額の寄付のお申し出もあり、構想の実現に奔走したこともありました が、許認可や立地、人材、経営など全く五里霧中で、平安女学院大学での国際観光学部設立という中途半端なままで終わりました。そのなかで、大学運営はおろ か、観光政策や旅行代理、輸送、宿泊、飲食などの諸産業の実態はもちろん、観光そのものの意義さえも不十分にしか知らない私自身に気づき、もう一度、一か ら勉強しなおしているところです。

誰もが安価で楽しく専門知識が学べる大学・大学院の設立をめざして、当社では大学と同じ職階と職名を設けることにしました。現在のところ、教授1名のみが在籍です。

 代表取締役 教授 清水宏一